小さなメディア

今回は考えを外に発信することの意義について、書いてみようと思います。

私は自らの表現の場としてブログを選びました。

理由は大きく2つあります。

 

一つ目の理由はは個人的な学びのためです。

これまでに日記の形で好き勝手に文字を綴ることはありましたが、

これでは自分が読めればよく、殴り書きも許されてしまいます。

人に発信する形で文章にまとめることで、

吸収したことや感じ考えたことをより深く考察し「消化」できます。

また「表現」力を向上させたいという思いもあります。

 

それから二つ目の理由は、社会に議論を生むためです。

社会問題と向き合う中で、現場で起きていることと、

メディアで報じられる情報の違いを感じてきました。

また人と人とがわかりあえないもどかしさを感じてきました。

多数決で物事が決まっていく民主主義のこの国で、

マイノリティーの声は多くの人に届きません。

公平な議論にはみなの平等な発言権が欠かせないはずです。

学校のクラスでならまだしも、

社会で公平な議論を行うなんて、理想論で絵空事かもしれませんが、

やはり個々人が社会を構成する一個人として、公平な議論に協力すべきと思うのです。

 

そのためには、ひとりひとりが発言していく必要があります。

そして本当に人の心に響かせるには、誰かからの受け売りではなく、

自らの経験に基づいた自分から発せられた言葉でないといけないと感じます。

ひとりひとりがメディアになることで、身の回りで小さな議論が生まれます。

その日常生活の中に自然に生じる小さな議論こそ、

よりよい社会をつくるためのキーポイントなのではないでしょうか。

 

私たちもよく知るMartin Luther King牧師の言葉に

このようなものがあります。

「この社会の変動期における世界最大の悲劇は、

悪人たちの暴言や暴力ではなく

善意の人びとの不気味な沈黙と無関心であった」

沈黙や無関心が罪であるという側面は、

苦しいですが受け入れていかねばならないと思うのです。

社会を構成する一員として、皆が背負うものだと思うのです。

 

小さなメディアになりたい、と思います。