インド初日のこと

空港から4時間タクシーに揺られ、夜遅く21時頃に目的地に到着
笑顔が素敵なインド人の女の子が私を待っていてくれました^^

彼女のコミュニティーの中に空き部屋があるから、使ってよいとのこと。
暗闇の中、案内された場所は部屋というよりひとつの建物。
だだっ広い部屋に、コンクリートの机がひとつと、鉄でできたダブルベッドがひとつ。
かわいい柄の布が敷かれていて、少し嬉しくなりました。
小汚いけれど、トイレもちゃんとあります。
はて…シャワーはどこで浴びるんだろう。
聞いてみると、彼女は少し笑いながらトイレルームの中にある、
これまた少し汚い大きなバケツと蛇口を指差して、
ここで浴びるのよ、大丈夫?…と。
It’s OK It’s OK! 大丈夫大丈夫!と頑張って微笑んでみたけれど、
ちょっと無理して笑っているのが自分でもわかりました。

フィリピンでも経験した水浴びだけど、寒くて嫌な思い出がよみがえります。

しかも今回水浴びする場所は、普通のトイレの広さ。
狭いし汚れも気になって…果たして私はここで何日耐えられるのでしょう。


そして彼女と別れた後、インターネットも使えないことに気づきました。

しばらくこの状況を受け止められなくて、
現実逃避にしばらく携帯の中の家族や友人の写真を眺めました。
インドとあれど夜はひんやりするので、水浴びをする気分にもなれず、
もう何も考えずにとりあえず今日は寝てしまおう!ということで、ベッドに入りました。
入るといってもタオルケットのような体にかけるものもなく、
少し湿ったシーツの上に横たわって、少し肌寒さを感じながら目を閉じます。

どれだけ普段私たちが、清潔でかつ物で溢れた環境に、

そしてインターネットが使える環境に依存しているか…

思い知った初日の夜でした。

今回の旅で訪れる国は、実はインドとカンボジアの他にもう一カ国あるんです。
それがマレーシア。
エアアジアという格安航空を利用するのですが、
毎回拠点にしているマレーシアを経由して行くのです。
日本ーマレーシアーインドーマレーシアーカンボジアーマレーシアー日本
なんと三回も!訪れることになります。
時間も手間もかかりますが、お金を節約するには仕方ありません。
時間があってもお金がない学生にとっては、ありがたい航空会社です。

 

日本を出発して、インドに着くまでにマレーシアで一泊。
観光地に行く暇もないほど短い滞在だったのですが…
朝食を食べ終わってから空港に行く時間まで暇していると、
たまたまレストランで会った方と仲良くなり、お家にも招待してくれて、
仕事場である税関にも連れて行ってもらって、美味しいごはんまでごちそうになって!

しかもその後乗った飛行機では、たまたま隣に座った女の子に話しかけたら、
なんと先月国会試験に通ったばかりのマレーシアの医学生!
お互いの国の医学部事情を語り合って、とーっても盛り上がりました。
(日本の医療保険事情を聞かれたときには、
保険について不勉強でかつ英語で説明できなくて冷や汗ものでしたが…)

 

日本にいるときには、もっと早く海外に出たかった…という、
後悔の気持ちもありましたが、
こんないい出会いがあると、そんな後ろ向きな気持ちなんて吹っ飛んでしまいます。
今このタイミングで海外に来て、暇つぶしにレストランに行ったから、
飛行機であの席に座ったから、出会えた人がいる。
もうそれで十分。

そんなことを考えていたら、頭の中でこの曲が再生されました。
おかんの人として。

 


おかん: 人として - YouTube

久々の更新^^

ナマステ!インドからこんにちは。

とーっても久しぶりの更新になってしまいました…

ブログを書く気持ちになれなくて、 何ヶ月もお休みしていましたが、インドに来た勢いで、 少しずつ何か記していこうかなと思い至りました。

とはいえまた続かないかもしれないですが…

のんびりマイペースにやっていこうと思います。

 

私は今年の1月から、自分の意志で一年間休学しています。

その間、やりたいことの一つに、『アジアの国をたくさん一人で旅してみる』 ということがありましたが、なかなか予定通りにはいかないもので、 あっという間に10月を迎えてしまいました。

最後のあがき…ではありませんが、 やっぱりどうしても海外に、アジアに行きたくて、 約5週間、インドとカンボジアを旅することにしました。

死ぬまでに一度は行ってみたかったインド、 お世話になっている方を頼って、今回初めて訪れます。

カンボジアは4年ぶり。初めて行った時からずっと連絡を取り合っている、 カンボジア人の友人に会いに行きます。

これまでなぜかアジアとたくさんご縁があり、自分自身もアジアに惹かれていき、 そしてアジアをキーワードに繋がってきた人々が多くて。

もう一度、今までの旅や今まで考えてきたことを振り返りつつ、 今の自分だからこそ感じられることをめいいっぱい感じてきたい。

またこの一年間、自分を見つめる中で、 日本にいるとたまに感じる不自由さや生きる難しさが、 なぜか海外を旅すると、不思議と解消されることはぼんやりとわかっていました。

自由に開放的になれて、いきいきと輝ける。

自分という主人公を生きているという確かな感覚。

それはただ、旅というシチュエーションがそうさせるのかもしれないし、 もしかしたらアジアの空気がそうさせるのかもしれない。

なんだかわからないけれど、きっと私が心豊かに生きるためのヒントがあるはず。

そんな思いもバックパックに詰めてきました。

当初の予定と比べると5週間というのは短く感じてしまうけれど、 私にとっては3週間のフィリピン旅に次ぐ最長記録。

いつもせっかく来たんだからもったいない!と背伸びして旅をしがちな私なので、 今回は休み休み、時にはぼんやりと立ち止まりながら、 自然体で過ごしてみたいと思っています*^^*

おひっこし

2年間住んだ下宿先から、実家へ引っ越すことになりました。

なるべく自分で全部やろう!ということで、

段ボールに荷物を詰めて軽自動車で運ぶ作業を、

前々から少しずつ進めてきたのですが、

ついに昨日、衣装ケースをどっさり運んできました!

今までは必要な服を持って実家に泊まりに行く感覚でしたが、これからは逆。

拠点が変わったという感じで、いよいよ引っ越す実感が湧いてきて…

なんだか寂しさがこみあげてきてしまいました。

 

といっても同じ市内で住むことには変わりないので、

そんなに大きな変化ではないのですが(笑)

きっと部屋への愛着だろうと思います。

 

女子力アップとか言って、気取って新しい料理にチャレンジしてみたり、

パジャマのまま一日引きこもって勉強したり、

1人でテレビ見て爆笑したり、わんわん泣きながら眠ったり、

友達と朝まで深く語らったり、好きな人と長電話したり、

朝日を浴びながら外で朝食を食べたり、窓から流れ星を眺めたり。

多感な大学時代を過ごした思い出の場所がなくなってしまうこと…

やっぱりちょっと寂しい、です。

 

いつもそう。

お別れして新しい環境に行くときには、どうしてもいつも寂しくて。

心がきゅうと苦しくなる感じ。

忘れてしまうのが怖いから、いつも1人で思い出を振り返って、

自分と向き合って、心を整理する時間を取ります。

小学校とバイバイしたとき、中学校とバイバイしたとき、

高校とバイバイしたとき…

忘れたくなくて、最後に巡って脳裏に焼き付けた学校の風景、

そのとき口ずさんだメロディー、考えてた自分がこれから歩む道…

そういえば今でも、ぼんやりとだけど思い出せるかも。

 

思い出の地を去ることがどれほど苦しく辛いものか…

福島から避難してきた人々のことを思うと、

ハンセン病で故郷を離れざるを得なかった人々のことを思うと、

心がきゅうと苦しくなります。

故郷を追われる者の思いなんて、

当事者じゃないのにわかりっこないけど、想像しかできないけど、

想像する心を失いたくない。

忙しい毎日でも、自分や人の感情と向き合うのには丁寧に時間をかけたいなぁ。

 

釜ヶ崎で働く、マザーテレサのようなケースワーカーさんのお言葉。

「ずっと人と向き合い続けて、何十年もかけてやっとひとつのことがわかるのよ。

人生は長いんだから、焦ってはいけません。」

まあ、のんびり生きていきましょ*^^*

炊き出しに行ってきました♪

みんなで大阪に炊き出しに行ってきました!

場所は大阪の釜ヶ崎。ホームレスの数が日本一多いまちです。

 

炊き出し、と聞いてどんなイメージを持たれるでしょうか。

肯定的な方も、否定的な方も、おられると思います。

今回は、私というフィルターを通してみた炊き出しについて

書いてみたいと思います。

 

炊き出しの一日はこんな感じです。

月末の日曜日、朝9時。

大阪のとある工場の敷地に、20人ほどが集結します。

メンバーは老若男女さまざま。

長年参加しているおじさんおばさん、

今日初めて来た若者、小学校に上がりたての子供たち…

みんなでわいわいカレーを作ります。

その数、なんと800人分!

大量のじゃがいも、にんじん、たまねぎなどを、

ひたすら洗い、皮をむき、切ります。

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ただただ単純な作業の繰り返しですが、

みんなで楽しくおしゃべりしながらやっていると、

時間はあっという間に過ぎていきます。

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腰から力を入れて おりゃー! っとかきまぜます(笑)

 

完成したら、自分たちも作ったカレーをいただきます。

たっくさんの野菜を煮込むので、とってもおいしいんです…♡

そして食べ終わったら…いざ釜ヶ崎へ!

配布場所に到着すると、おおよそ600人ほどの長蛇の列が出来上がっています。

どこからこんなにもたくさん人が集まるんだろう、と思ってしまうほど。

みんなで手際よく盛り付けて盛り付けて配って配って…

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最後はお片付けをして、15:00頃には解散です。

これが簡単な一日の流れです*^^*

 

初めて炊き出しに参加したとき、私はたくさんの葛藤を抱えていました。

炊き出しとは何なのか、意味はあるのか、

現場のニーズはどれくらいあるのか、支援者の自己満足ではないのか…などなど。

なんとなく必要なのだろうという直感と、そこに明確な根拠を求める理性と。

おそらく何かしたいというより、

炊き出しという場への興味関心の方が大きかったように思います。

 

炊き出しに参加している人がどんな気持ちで参加しているのか、

とっても興味があったので、何人かに尋ねてみました。

なんとなく返って来る答えは想像していました。

「困っているおっちゃんたちのために、自分たちがやれることをやりたい。」

きっとそんな答えだろうと思っていたのですが、

実際の答えは全く違ったものでした。

「自分のためにやっています」「ここに来ると心が洗われるんです」

最初はうまく理解できませんでした。

 

でも実際、炊き出しの場に「してあげる」という雰囲気はまったくありません。

’みんなでカレーを楽しく作ったのですが、作りすぎて余ってしまったので、

おっちゃんたちにおすそわけしてあげました。’

…こんな感覚が一番近いかなと思います。

でも楽しく作るだけじゃありません。

その場所に入り込んで一緒に作業していると、

ただその場の雰囲気に圧倒されるのです。

特に何度も参加されている方々はとにかく謙虚で気が回って…

とにかく働き方が玄人肌。

そして初めての人も温かく受け入れてくれる雰囲気があり、

人と人とが交わる場にもなっています。

 

炊き出しには意味があるのか?

何度か参加する中で、私はきっとあるんじゃないかと感じています。

ぎりぎり今日の日のご飯が食べられなくて、餓死してしまう人が、

今日を生きるための一食になるかもしれないのです。

明日は我が身、です。

 

そして何より、理屈抜きに行動してみて初めてわかる世界があると感じています。

ついつい理性で物事を考え、理屈とか根拠を考えてしまいますが、

人間の頭だけではとらえられない世界もあるのだと思います。

 

動きながら考える、そして感じることで、

自分の殻をやぶって新しい扉を開けることができます。

ぜひ多くの人に、一生に一度でもいいので、

この炊き出しに参加してみてもらいたいなって思っています。

 

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参加してくれたみなさん、ありがとうございました\(^o^)/♡

一期一会、たくさん素敵な繋がりができて本当によかったです♡

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人間理解は命がけ?

 

先日、家庭医療学講座の先生とお話する機会がありました。

先生は、「医療を行う上で共感する力は大切。

患者さんを深く理解し、ニーズに合った医療をするのが家庭医療だ!」

と熱く私に語ってくれました。

この会話をきっかけに、人間理解について考えを巡らせてみたので、

今回のテーマにしようと思います。

 

「人の気持ちがわかるお医者さんになってね」

こんな言葉をかけられることがあります。

私は物心ついた時から、共感できる心を持ちたい、

そしてそのために、いろんな経験を積みたいと考えてきました。

何か自分にうまくいかなかったことがあったとき、辛いことがあったとき、

同じ経験をした人の痛みがわかるようになったかもしれない、

と自分をなぐさめたこともありました。

あらゆる経験には「人間理解」をキーワードにすれば意味がある…

いつしかそのように言い聞かせ、自分を奮い立たせるようになっていました。  

 

失敗してもいいから、興味を持ったことはなんでも挑戦しよう、

勉強もサークルもバイトも、とにかく今やれることは全部経験しよう。

そんな考えのもと、体力が続くぎりぎりまで動きながらもがいていた時に、

河合隼雄先生が書かれた心理学の本と出会い、私は衝撃を受けます。

そこにはこう書いてありました。

「人間理解は命がけの仕事である」

 

こう続きます。

「うっかり他人のことを真に理解しようとしだすと、

自分の人生観が根っこのあたりでぐらついてくる。

逆に自分の根っこをぐらつかせずに

他人を理解しようとするのなど、甘すぎるのである」

その通り、私は当時人と関わる中で自分がぐらぐらと揺れ動いていました。

日々の自分との葛藤の原因はここにありました。 

 

人間理解とは何のためにするものなのでしょう。

もちろん答えは人によってさまざまだと思いますが、

医療者にとっての人間理解は、

相手と同じように感じ考え共感することにとどまらず、

相手のニーズを把握するということなのだと思います。

自己満足にならないためにも、人間理解の限界を知り、

揺らがない自分を持ち、相手が求めるものを把握する。

これって大切なことなんじゃないかなって思います。

(言うだけは簡単ですが。)

 

そして家庭医療の分野だけでなく、

ニーズに合ったものを提供するということは、

どの分野においても求められることなのだと思います。

そのためには人間理解が必要、

つまり命がけで自分と向き合うことが必要なのかもしれません。

 

河合先生は最後にこう書いています。

「せっかく生まれたのだから、死ぬまでには、

ときどき命がけのことをやってみないと面白くないのでは」

…毎日じゃ身が持ちませんが、

一度しかない人生、たまには命をかけてみてもよいのかもしれません。

働くことは生きること

今回のテーマははたらくこと。

私はこれから大阪の釜ヶ崎と関わろうと考えています。

釜ヶ崎は大阪の西成区に位置し、ホームレスが日本で一番多い街。

私がこの街の魅力にとりつかれてから、もう一年がたちます。

もっと釜ヶ崎のことを知りたい、関わりたいとの思いから、

今月から一年間の休学を決めました。

釜ヶ崎についてはこれから少しずつ紹介していくことにして、

今回は私の経験した、釜ヶ崎での一日お仕事体験について記そうと思います。

 

ある朝、眠い目をこすりながら、仕事場には朝8:00に到着。

仕事場は西成公園のすぐそばのとある小さな施設です。

ここではおっちゃんたちが廃品回収をしながら集団で生活しています。

 

私とペアになって仕事を教えてくださることになったおっちゃん(Mさん)とともに、

企業ででた大量の紙ごみを囲みます。

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そして新聞や雑誌、コピー用紙、小さな紙きれなどを仕分けします。

ただただ、ひたすらに。

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私が開始10分で感じた率直な感想は、「苦しい」。

野外で暖房器具もない中の至極単調な作業で、ただただ体が冷え、

しかもごみの中にはタバコの吸い殻や、ガムの噛んだ後のゴミ、お菓子の袋など、

直接手で触りたくないと思ってしまうものもたくさん。

 

このような仕事をして生きている人たちがいるということを、

みなさんはどのように考えますか?

「そんな仕事よくやるなぁ…」「かわいそう。」

「フィリピンのスモ―キーマウンテンみたい」

いろんな感想が聞かれました。

 

はたらくってどういうことか…

釜ヶ崎にいるとそんなことを考える機会がたくさんあります。

はたらくことは、生きるためのお金を稼ぐことでもありますが、

そして何より生きがいを創造するものでないかと思うのです。

ただ何もない一日を過ごすより、

どんな仕事でも、一日何か打ち込めるものがあるというのは、

生きるということにおいて大切なことなのではないでしょうか。

 

Mさんはしきりに「生きることは大変なんや」と私に語りかけます。

「ほかにやることもないからなぁ…」にこやかに語って、

もくもくと作業を続けます。

 

私も6時間近くの作業の果てには、やりがいを感じられるようになっていました。

単調な仕事でも、続けるうちに小さな要領やコツをつかんでくるものなのでしょう。

「だんだんわかってきたやないか~」Mさんも誉めてくれます。

一緒に笑顔で仕事に取り組む、仲間の存在も大きいかもしれません。

最後には充実感とともに仕事を終えました。

 

働くことは生きること。

休学した今、私にもたくさん時間できたので、

たくさん働こうと思います。